かわいいは無敵

 英語ができたらいいのに、と思う。ノエル・ギャラガーのライブ映像を見ていて、途中ノエルがぺらぺらと喋った言葉に観客が大笑いする場面が何度かあった。どんな面白いことを言ったのかこちら側は知る由もない。それがちょっとつらい。たった英語を理解できるだけで、おそらく世界はびっくりするぐらい広がるんだろう。でもそこに行きつくまでがずいぶん過酷に思えてしまう。

 昨夜、ノエル・ギャラガーのファンであろう人にTwitterでフォローされた。その方は中国語を母国語としていて、どうやらイギリスに住んでいるらしかった。日本語は通じそうにない。僕とその人を繋いでいるものはオアシスやブラーなどのUKロックだけだった。

 でもいくつかのツイートで「あ、わかるかも」と思う瞬間がある。ノエルの画像が貼ってあるけど、肝心なツイートはハートマークだけ。うん、これかわいいよね。これとは別の、しかし似たようなツイート。うんうん、このノエル好きだなあ。使える言葉こそ違えど、かわいいものや好きなものに対する熱量は万国共通な気がした。

 一昨年放送された「逃げるは恥だが役に立つ」の中で新垣結衣さん演じるみくりが「かわいいは最強」と言うシーンがあって、その説明含めて共感してしまった。たとえば、かっこいい人はかっこいいことをしているからかっこいいのであって、かっこ悪い行動は幻滅にしかならない。でもかわいい人は何をしようとすべて「かわいい」と形容できてしまう。完璧そうな人がミスをしても、それがかわいい人であれば「ギャップ」のように感じられるのだ。仕事のできるおじさん(かわいい人じゃないとだめです)が実は寝起きだらしなかったりとか。

 外国により広まったのがkakkoiiではなくkawaiiなのは、やっぱりかわいいが無敵だからなんだと思う。世界各地の絵師さんのかわいい絵を「いいね」するときの感情の根っこの部分はおんなじな気がするし、なんだか「うん、たまたま言語が違うだけだよね」という気がしなくもない。言語も軽々と超えてしまう「かわいい」、さすがです。

 生まれ変わったら猫になって、芸の一つや二つを覚えて人間に何不自由のない暮らしを保証してもらいたい。猫の言語も地域によって違ったりするのだろうか。僕らにはただ単に「にゃあ」としか聞こえないんだけど。