これまでのあらすじ

 「平凡宇宙」というブログを消して特に後悔がないのは、書いてきたものに思い入れがないからだろうか。それらを書き終わったとき、多少の達成感があったのは事実だけど、それ以上に(たぶん)不完全燃焼感があったのだと思う。「あのブログ好きでした」と言われると「ざまあみろ」とつい返したくなる。でも書いていた当時、特に好意的な反応がなかったのは自分の文章にそうさせる力がなかったからだ。すばらしい文章は、誰かをすばらしいと言わせてしまう力を宿している。

 あのブログの前には「NIGHT SCRAPS」というものをやっていて、そちらはほとんど(スリムにするためにちょっと消したが)残っている。僕はあのブログが好きだし、書く楽しさも全部あそこに詰まっていると確信していて、終えるときも消すことはできなかった。「平凡宇宙」は、「NIGHT SCRAPS」の二番煎じでしかなく、だいたいが誤魔化しだ。それでも、「まあ消すことはなかったんじゃないか」という誰かさんの声に半ば押されて、修復作業をしてみた。

 「平凡宇宙」を更新していた日々の間、僕の頭はずっと停滞していた。何も思いつかない、考えられない。今まで一人遊びのように自然にできていた「ただ考える」という何気ない行為が、突然できなくなった。それは「NIGHT SCRAPS」の終わりごろから言えることかもしれない。ものすごく怖くなった。自分が面白いと言える文章が書けなくなったことが、予想以上に恐ろしくて、過去の文章のおいしいところを真似るようになった。でもそれは不安をより駆り立てるだけだった。そんな不安が獣のように大きくなったある日、何の躊躇もなくブログを消した。しばらくの間、ブログがなくなったことについて誰からも何も言われなかった。それぐらいブログがつまらなかったのだと、ある種の確信が生まれた。

 読み返してみて思ったことは、よくこんな面倒なことを続けていたなあということ。だいたい1000文字のフォーマットで、起承転結を設けて文章を書く。型があることで書き易い面もあったかもしれないが、それに囚われていたことも事実。1000文字ぐらい埋められる内容を考えること自体、ものすごく面倒くさいことなのだ。いろんな仕事をしている芸能人ならまだしも、僕はただの大学生。ずっと同じ景色のルーティンで、文章が退屈にならないわけが(たぶん)ない。

 「平凡宇宙」の特徴を一つ挙げるとしたら、「暗闇を尊重する」だと思う。「やさしい暗闇から」を書けたとき、すっと何かが気持ちよく落ちていく感じがあった。それは、「生きていることがいかに素晴らしいものかと、無理して言う」今までの文章ではなく、「無理をせず、あるがままを書く」「暗い気持ちをきちんと掬い取る」方向へと進めたからだと思う。死にたいと思ったのなら、それを認める。つらいと感じたなら、それをきちんと書く。心に溜まった泥のような気持ちをただ描くことが、文章を書く楽しさに、世の中へのささやかな抵抗になるのだと感じた。復元した文章のいくつかには、こうした意識がちょっとずつ埋め込まれている。たぶん。