つないでみると、

 目の前の二人が手をつないでいる。一人の手がもう一人の手のひらの上で重ねられ、指と指が交互に絡みあって簡単には外れないようになっているのだけど、それは真白な貝殻のようにも、得体のしれない生命体の交尾のようにも見えた。路面電車が停留所にとまってその二人が降りたあとも、空いた席ではまだ残像たちが手をつないでうたた寝をしていた。

 手をつなぎ、手を離す。僕はこのタイミングがよくわからない。自分がもういいやと思っても、すぐに離してしまうと少しワガママな感じがしてしまうんじゃないか。だからと言っていつまでも離さないわけにもいかない。それは、目と目を合わせているときや、会話をしているときもそうだ。自分がきっかけであろうとなかろうと、人との関わりをいつ終わらせればいいのか、その適切なタイミングがわからない。

 初めてツイッターというものを始めたときを思い出す。なんだかよくわからないままにインストールし、アカウントを作り、適当にツイートしたことを。最初のフォロワーはアメリカ人のミュージシャンだった。向こうからすればただのプロモーションだ。しかし、ツイッター青二才だった僕はこの未知の体験にときめいた。あんまり売れてなさそうな彼の音楽を拝聴し、DMにて下手くそな英語でうざい絡みもした。好きな音楽の話ができる人が現実でいなかったため、同じような趣向をもつ人たちとの出会いは嬉しくて、声にはならなかった言葉をたくさん吐き出した。半年ぐらいだった頃だ。なにかのきっかけでフォロワーの欄を見ていたら、彼からフォローを外されていることに気がついた。

 しかしその一方で、現実では絶対関わらないような憧れの人からリプライが来て、飛び上がるほど喜ぶこともある。自分の高校を舞台に小説を書いた人、普段よく聴く音楽を作った人、そういう人との見えない握手が、ずっと心に残っている。手をつないだ、とは言えないぐらいの短い時間の関わり。その人の体温や生々しさは感じられなくても、ただ手を重ねられただけで嬉しい。他の人とも、そういう潔くて清らかな関係でいられたらいいのかな。どのタイミングで手を離そうとか考えることなく、ただ相手への友愛を手のひらにこめる。また手をつなごうと、長い一瞬で伝えて。