平凡宇宙の季節

 0.これまでのあらすじ

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 1.やさしい暗闇から

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2.難しい暮らし

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3.好き

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4.たべたいものを作るのよ

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5.たわいもない

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6.くらい水槽

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7.箱庭

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8.美しさと怠惰

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9.刺さるわ

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 10.つないでみると、

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これまでのあらすじ

 「平凡宇宙」というブログを消して特に後悔がないのは、書いてきたものに思い入れがないからだろうか。それらを書き終わったとき、多少の達成感があったのは事実だけど、それ以上に(たぶん)不完全燃焼感があったのだと思う。「あのブログ好きでした」と言われると「ざまあみろ」とつい返したくなる。でも書いていた当時、特に好意的な反応がなかったのは自分の文章にそうさせる力がなかったからだ。すばらしい文章は、誰かをすばらしいと言わせてしまう力を宿している。

 あのブログの前には「NIGHT SCRAPS」というものをやっていて、そちらはほとんど(スリムにするためにちょっと消したが)残っている。僕はあのブログが好きだし、書く楽しさも全部あそこに詰まっていると確信していて、終えるときも消すことはできなかった。「平凡宇宙」は、「NIGHT SCRAPS」の二番煎じでしかなく、だいたいが誤魔化しだ。それでも、「まあ消すことはなかったんじゃないか」という誰かさんの声に半ば押されて、修復作業をしてみた。

 「平凡宇宙」を更新していた日々の間、僕の頭はずっと停滞していた。何も思いつかない、考えられない。今まで一人遊びのように自然にできていた「ただ考える」という何気ない行為が、突然できなくなった。それは「NIGHT SCRAPS」の終わりごろから言えることかもしれない。ものすごく怖くなった。自分が面白いと言える文章が書けなくなったことが、予想以上に恐ろしくて、過去の文章のおいしいところを真似るようになった。でもそれは不安をより駆り立てるだけだった。そんな不安が獣のように大きくなったある日、何の躊躇もなくブログを消した。しばらくの間、ブログがなくなったことについて誰からも何も言われなかった。それぐらいブログがつまらなかったのだと、ある種の確信が生まれた。

 読み返してみて思ったことは、よくこんな面倒なことを続けていたなあということ。だいたい1000文字のフォーマットで、起承転結を設けて文章を書く。型があることで書き易い面もあったかもしれないが、それに囚われていたことも事実。1000文字ぐらい埋められる内容を考えること自体、ものすごく面倒くさいことなのだ。いろんな仕事をしている芸能人ならまだしも、僕はただの大学生。ずっと同じ景色のルーティンで、文章が退屈にならないわけが(たぶん)ない。

 「平凡宇宙」の特徴を一つ挙げるとしたら、「暗闇を尊重する」だと思う。「やさしい暗闇から」を書けたとき、すっと何かが気持ちよく落ちていく感じがあった。それは、「生きていることがいかに素晴らしいものかと、無理して言う」今までの文章ではなく、「無理をせず、あるがままを書く」「暗い気持ちをきちんと掬い取る」方向へと進めたからだと思う。死にたいと思ったのなら、それを認める。つらいと感じたなら、それをきちんと書く。心に溜まった泥のような気持ちをただ描くことが、文章を書く楽しさに、世の中へのささやかな抵抗になるのだと感じた。復元した文章のいくつかには、こうした意識がちょっとずつ埋め込まれている。たぶん。

つないでみると、

 目の前の二人が手をつないでいる。一人の手がもう一人の手のひらの上で重ねられ、指と指が交互に絡みあって簡単には外れないようになっているのだけど、それは真白な貝殻のようにも、得体のしれない生命体の交尾のようにも見えた。路面電車が停留所にとまってその二人が降りたあとも、空いた席ではまだ残像たちが手をつないでうたた寝をしていた。

 手をつなぎ、手を離す。僕はこのタイミングがよくわからない。自分がもういいやと思っても、すぐに離してしまうと少しワガママな感じがしてしまうんじゃないか。だからと言っていつまでも離さないわけにもいかない。それは、目と目を合わせているときや、会話をしているときもそうだ。自分がきっかけであろうとなかろうと、人との関わりをいつ終わらせればいいのか、その適切なタイミングがわからない。

 初めてツイッターというものを始めたときを思い出す。なんだかよくわからないままにインストールし、アカウントを作り、適当にツイートしたことを。最初のフォロワーはアメリカ人のミュージシャンだった。向こうからすればただのプロモーションだ。しかし、ツイッター青二才だった僕はこの未知の体験にときめいた。あんまり売れてなさそうな彼の音楽を拝聴し、DMにて下手くそな英語でうざい絡みもした。好きな音楽の話ができる人が現実でいなかったため、同じような趣向をもつ人たちとの出会いは嬉しくて、声にはならなかった言葉をたくさん吐き出した。半年ぐらいだった頃だ。なにかのきっかけでフォロワーの欄を見ていたら、彼からフォローを外されていることに気がついた。

 しかしその一方で、現実では絶対関わらないような憧れの人からリプライが来て、飛び上がるほど喜ぶこともある。自分の高校を舞台に小説を書いた人、普段よく聴く音楽を作った人、そういう人との見えない握手が、ずっと心に残っている。手をつないだ、とは言えないぐらいの短い時間の関わり。その人の体温や生々しさは感じられなくても、ただ手を重ねられただけで嬉しい。他の人とも、そういう潔くて清らかな関係でいられたらいいのかな。どのタイミングで手を離そうとか考えることなく、ただ相手への友愛を手のひらにこめる。また手をつなごうと、長い一瞬で伝えて。

刺さるわ

 寒いのに雨まで降っていて、そういう状況で外に出て行かないといけないのはすごく憂鬱だ。陰気な顔で窓辺に立って、いっそのこと授業をサボってしまおうかとも考えるけれど、おとなしくコートに袖を通してドアを開ける。いくつもの銀色の点が道の上で線になって、だらだら続いていた。その線に従って歩く僕の傘から、雨粒がすべり落ちて僕の足あとを標す。

 金曜日の午後、チャイムが鳴って教室から人が出て行くのを待っている間に、月日の流れの速さをぼんやりと思った。冬の黄昏みたいに、一日一日があっという間に、その美しさを味わう暇もなく暮れていく。日々の背後には数々のノルマと苦しみが出番を控えている。例えば、寒い朝に布団に包まっていたいときも、夜中にお腹が減って眠れない時も、それらは消えたりしてくれない。めんどうで、回避したい。だけど健気に立ち向かう人々が輝いて見えるから、自分も苦しみを甘受するのだ。

 雪の中で育った野菜は甘みが増すと言う。厳しい寒さから身を守るために、野菜が水分を糖分に変えるからだとかなんとか。世の中でも、これに似た考えがはびこっているような気がする。誰かから背負わされた苦しみを正当化して、そこから幸福を見出すように強いられる。そして過酷な冬を勝ち抜いた人々は、次の世代にも同じ苦しみを求める。苦しめ、苦しめと力を加える。この苦しみに感謝しろ、と迫る。そうやって苦しみは永遠に続いていく。南国で育つ果実に唾を吐きながら。

 どしゃ降りの中を歩む人影を、じっと見つめている。君が風邪を引かぬように、風雨に流されぬようにと静かに祈っている。気休めのあったかいお茶みたいな文章を君に捧げる。いつか、柳のように君が倒れたら、僕の体温で君の冬の厳しさを知るといい。冬のばからしさや、そこへ勇敢に挑もうとする君の偉大さも。暖炉に薪をくべるように費やした君の青さ。寒さから君を守ってくれるときが来るといいね。今は、君の肌を雨が刺す。君の体温をじわじわと奪っていく。それだけが君の人生なのかな?僕は若すぎてまだわからない。僕はただお茶がしたい。

美しさと怠惰

 そろそろちゃんとしたいのだけど、というか年が明けたり春が近づいたりするたびにそう思うのだけど、うまくはいかない。ちょっと進んだと思ったら再びふりだしに戻る。夜はうまく眠れずに、朝はすんなり起きることができない。今ぐらいのとても寒い日なんか、昼までだらだら時間を無駄にしてしまって、一日があっという間に過ぎていく。そしてまたゾンビみたいな夜へとつづく。

 みんなの視線が注がれる空間では、ちょっと見栄張ろうとまともなふりをしている。見た目だけそれらしくて、その中身は大したものじゃない。盛り付けだけキレイにみえる料理。耳馴染みのいい平板な音楽。ときどき勘違いして自分もちゃんとやれているって思いがちだけど、真夜中になればそれがふっと解けて空洞が透けて見える。逃避していた現実が鎌をもって追いかけてくる。

 言い訳をしたり誤魔化したりするのはだめだって分かっているけれど、こういうときに聴くモリッシーの歌はとても救いになる。ザ・スミスから彼を知り、好きになって、今ではモリッシーのまっすぐな生き方に魅了されている。あまりにも変化しないが故に音楽雑誌から痛烈に批判されるほどの彼の思想。だけどそれはときにたくましく、華麗に映る。ザ・スミス時代からアセクシャルを主張し、王室や教育、政治などあらゆる権威を嫌い、孤独であり続ける姿は正直まぶしい。どれだけ彼が多くの人から非難されてきたのかは想像できないけれど、今でも元気にパフォーマンスしてくれるのはすごく嬉しい。

 だけど、だ。彼をしっかりと見つめていると、変化を感じることができる。花を愛でる彼も数年後にはボクサーをモチーフに詩を書き、ものすごく禁欲的だったのに最近は恋の喜びに満ちた歌も作ったりしている。相も変わらず嫌なところを抱え、つらい夜もある中で、生きてさえいれば何かしら変わることができるのかなと考える。怠け者の僕でも。雨天が忍び寄ると、罰を受ける孫悟空のように頭が痛くなって無能な僕でも。それはそれとして、何を物差しに「成長」って言うのだろうか。無責任に加速し続ける暴走した社会に適応できるかどうか?社会が提示する「こうあるべき姿」を心から信仰して行動できるかどうか?余裕を失った人たちは自分より下の奴らにいろいろ説教しはじめる。そうやって行き場を失った誰かが、今日もモリッシーの声を聴く。美しいけれど棘もある、バラのような歌。弱いからこそ、たった独りだからこそ受け取れるものがあるはず...。

箱庭

 時間があるとピクシブツイッターをパトカーみたいに巡回して、すてきな絵を発見すればこっそりハートマークを残す。自分の好きな漫画やアニメ、それからバーチャルユーチューバーなんかの二次創作を見るのがとても面白くて、こんな場面公式にはありはしないのに、誰かの頭の中で練りあがった話が絵になっている。ときに解釈が一致しなくて首を捻る作品に出会ったりもするけれど、同じ題材でも人によって感じるところが異なるのだと気づかせてくれる。

 まだ二次創作に触れたことがなかった頃は、そういう出版物を本屋で目にするたびに違和感を覚えていた。世界観とか登場人物とか他人が作ったものなのにどうして作者以外の人が本を出しているんだろう...という、面倒くさい戯言をぶつぶつ呟いて、友だち(こちらは二次創作物を買ったりしていた)の機嫌を損なわせた。

 だけどあるときに『ユーリ!!! on ICE』というアニメ作品を観て、「この二人の関係性がもっと見たいのに、なぜ、なぜ...」と満たされない思いがどんどん積もり、それをどうしても解消したくなった結果、ピクシブの存在を知った。そこには自分と同じような妄想をしている人がいて、僕には絶対できないことをしていた。僕は非公開でいいねをして、思い出しては絵を開いてこっそり胸を高鳴らせている。そういうのがずっと続いている。

 いろんな人が頭の中に妄想をたくさん飼って、立派に育てている。端からみればただの現実逃避でしかないけれど、愛から生まれた嘘はどこか誇らしい。例えばとあるバーチャルユーチューバーが引退して、もう配信では会えなくても、絵師さんが彼らの絵を描きつづける限り、まだどこかで存在しているような気持ちにさせてくれる。そうじゃなくたって、現実ではないバーチャルな存在が、この近所らへんで生活しているんじゃないかと思うほどの、生々しさ、温かさを感じる。もちろんそこには虚しさもあるわけで、こんな世界があったらなあと、うつうつ夢想してしまう。だけどそれすら自分の中に妄想を飼うことにつながっていて、誰も届かない世界とコネクトできる手段になる。どれだけ目の前が素っ気なくて、唾吐きたくても。

くらい水槽

 小春日和を期待していたのに、今日はいつもより風が冷たくて、あんまり寄り道せずに帰った。慣れない服をさっさと脱いでハンガーにかけ、部屋着に着替えた。布団でくつろいでちょっと時間を潰した。お昼に何も食べていなかったから、少し早いかなとは思いつつ晩御飯の用意をして、無言でそれを口に運んでいた。その途中で珍しくお母さんからメールが届き、お父さんが新しい仕事に就いたこと、疲労がすごくて足に水ぶくれができたことが知らされた。なぜかしら、さっきまであった食欲は一気に消え去り、何も喉を通らなくなった。そうしているうちに空が翳り始めた。

 暗い部屋は嫌いじゃないから明かりも点けないで布団に寝そべる。なんか知らんけど空気が狭い。この部屋がなんだか水槽みたいだと思う。真夜中の水槽。天井を泳ぐ不鮮明なスマホの光は月明かりだ。賑やかな時刻なのに辺りはしんとしている。本当ならこのまま眠ってしまいたかったけれど、ちらりと視線を左に移せば、米粒やおかずが食べ残された食器類が不満げに佇んでいる。冷たくなった彼らを台所まで運んでいき、その流れで浴槽にお湯を溜める。ようやく沈黙が破られる。

 とある漫画をぺらぺらと捲りながら、登場人物たちの間にある「友達以上の気持ち」をとても懐かしく思った。決して恋愛感情ではない。それでも、ものすごく照れ臭い気持ちを臆面もなく言えてしまうぐらいの距離感、お互いの手が触れるか触れないかぎりぎりの近さは友情でもない。ふと高校の頃の、もう色褪せた記憶らを拾ってみたくなった。なにせ僕は忘れられないのだ。休み時間、あいつがロッカーへ教科書を取りに行くたび、僕の席に寄って来て話しかけてくれるかひそかに期待していたこと。掃除の時間にはほとんどずっとサボり、二人きりで駄弁っていたこと。でもあの淡い関係性は、学校という謎めいた空間だからこそ生まれ、維持されていたのかもしれない。今ではすべてが悲しい。

 大人にもなって自分の昔話をしてはダメだと誰かが言っていた気がするけど、別にそういう制約を用意してまで守るべき見栄もないし、たまには「あの時はよかったな」みたいなダサい感慨をジャラジャラ並べていい気分に浸っていたいし、それに今の僕にはあんまり余裕がなくって、これを眠る時間を削ってまで書いているのがばかばかしいぐらいだけど(まあ明日からちゃんとするから)、お母さんからメールが届いて布団に寝転んで天井を見つめていたときから、なんかこの感情をまとめておきたいと思ったから仕方ないんだ、本当に。スタンドライトを消したなら、真っ暗闇の水槽の中で眠りにつこう。嫌だけど。