まだまだだね

 先週解いたテストが、今日返却された。論述問題が2問あったのだけど、僕はあまり点数を見たくなかった。もし、全然かけてなかったらどうしよう。文章を書くのが好きなのに初歩からできていなかったら...。いろんな「もしも」で頭の中がいっぱいになった。先生に名前を呼ばれ、僕はテスト用紙を受け取った。よかった、別に悪くない。でも改めて文章を読んでみると、いろいろ抜けていて、主語や述語、「いつ、どこで」なのか、ということが書けていない部分があった。

 自分の文章力が数値化され、評価されるのが怖い。数字という物差しがあまりにも的確ではっきりとしているから、自分がどれくらい書けているのか(または書けていないのか)目に見えて分かってしまう。数字は怖い。でも何十年も文章に関わってきた先生がつけた点数だから、その重みも感じる。自分はまだまだ文章がなっていない。そう考えるとここで自分の文章を公開していることに恥ずかしさを覚えるのだけど、数年経って「やっぱりまだまだだったなあ」と思えるように日々努力していたい。

 文章を書いてそれでご飯を食べている人たちは、自分の文を「いつもよく書けている」と思っているのか、「まだまだ未熟だ」と思っているのか、どちらなんだろう。人それぞれだろうけど、後者の方が強いメンタルを持っているように感じる。何年も文章を書いていると、余裕や自信が自然と付いてくるものだ。それでも毎度のように「自分はまだまだだなあ」と評価できるのは、それだけ文章を俯瞰して、変なフィルターをかけずに読めているからだと思う。自分の文章がどれくらいできているのかなんて、あんまり分からない。他人の文章を読んでも的確に評価することが非常にむつかしい。それはきっと、自分が無意識的に文章を書いているからだし、どういうものがきちんとした文章なのかきちんと把握しきれていないからだろう。その意味でも、自分はまだまだなのだ。

 果たして、ゴールはどこにあるんだろうか。どの職でも言えることだろうけど、おごらずにずっとやっていくのは一つの才能だ。自分のなかで安易に「こんなもんで」とオチをつけるんじゃなく、「もっと、もっと」とどんどん掘り進めていく。ストレスもあるだろうし、きっと追い詰められるだろう。好きなものを仕事をしている人は特に大変だと思うけど、そういうハングリー精神は新しいものを作り出すうえで欠かせないんだろう。きっと。

 さて、大学生になってもテストがあり、点数が付けられる。その度に自分の至らなさを実感して、次に繋げていく。めんどくさい。だるい。「自分はできる」と胸を張りたい。でも、それはまだもう少し先のことだ。