その時

 朝起きて、眠たい頭のままツイッターを開く。タイムラインを遡っていくと、だんだんと「大変なことが起こったんだな」ということが分かってくる。と同時に、心が汗をかく。今、冷蔵庫にはほとんど何も入っていないし、ご飯も炊いていない。みるみる不安が募ってきて、寝ぼけた頭で帽子をかぶり、急いで外に出た。

 ちょうど、ごみ収集の人たちがパンパンになったゴミ袋を手慣れたようにいくつも回収しているところだった。あっという間に収集車が去っていく。自転車にまたがり、ゆっくりと漕ぎだす。月曜の午前中にしては、車の量がなかなか多かった。あ、大学生が仲良さげに歩いている。大学を通過して、近くのスーパーに向かう。やはり、なのか、これがいつも通りなのか、スーパーの駐車場にはたくさんの自転車と自動車が停まっていた。食料品、特に冷凍食品のコーナーを見ていく。でもよくよく考えたら、電気が止まったら温められないじゃないか。乾パンを手に取る。缶のほうが長持ちするのか...。一体何を買えばいいのか分からなくて、いつもの買い物と変わらないものになってしまった。

 帰ってきて、食品を冷蔵庫に押し込んで、今度は洗濯をする。ベランダに出て、空を仰ぐと雲の形が気になって、でも気にしないようにした。風が涼しく吹いている。洗濯機から衣類を取り出すと洗剤の香りがして、心地よくなった。さて、部屋に戻り、ご飯を食べる。おいしい。うん、ちゃんとおいしい。

 日常に揺さぶりをかけることが起こったとき、きっとこんなことは永くはないんだと感じる。町を車が愉快に進んでいく。大学のベンチで恋人同士がご飯を食べ、お喋りをしている。テレビでバラエティ番組が放送されている。蛇口をひねれば水が流れてきて、スイッチを押せば電気が点く。だからといって「日常を大事にしようね」とは結ぶことはないにしても、やっぱり怖い。いつも笑っている人が突然無表情になったような、身近にあったものが急に離れていってしまったような恐ろしさを感じる。

 きっと「その時」は確実に僕の後ろを付いてきているし、その手にはナイフが光っている。それは地震かもしれない。殺人?交通事故?心臓発作?何が起こっても、おかしくない。だけど死なない限り、日常はつづいていく。どれだけ大きなことが起こっても、そのあとにはちゃんと地味な毎日が待っている。きっとそのためには強いチカラが必要だし、一人じゃどうにもならないときもある。非常事態が起きた「その時」、社会や地域の本当の姿に光が当たるのだ。