道草

 高校の修学旅行は、北海道だった。正直僕は東京のほうがよかったのだけど、多数決だからしょうがない。眠い目をこすりながらキャリーバックを引きずって学校まで向かったのを覚えている。あ、そうだ、初めて飛行機に乗ったのだけど、アトラクションに近かったなあ。座席がちょうど仲の良いメンバーだったので、トランプをしたりして時間を潰した。帰りの便では、このブログによく出てくる「友達」と隣になって、ぎこちないながらも少しお話ができて嬉しかった記憶がある。

 北海道で何をしたかというと、乗馬だ。他の子たちはスキーやサイクリングなんかのアクティブなものをしていたけど、そんなのに向いていない僕はこれを選んだ。同じクラスだった面々もいて、すこしほっとした。数匹の馬をグループで分けて乗ることになり、僕らは結構後ろの方だった。そのあいだ、馬の毛を編んでアクセサリーを作ったりした。そうして、いよいよ僕らの番になった。僕が乗ったのは白い毛並みのイケメンな馬で、コースをとことこと歩いてもらうのだが、不安定だしなかなか高いし、怖い。馬のお腹を足で軽く蹴って進んでもらうのだけど、何しろ馬は何回もここを歩いているから、飽きている。だから道に生えている草を食べようとする。そんなことをされると落っこちてしまうので、手綱をぐっと引っ張る。僕が乗った馬もやはり草の方へ行こうとして、ひやひやしながら手綱を引っ張った。無事何事もなくコースを歩き終わり、時間が余ったので男子たちと雪合戦をしたりあちこち歩いたりした。五月の北海道は絶妙だった。

 「道草を食う」という言葉は、馬が道に生えている草を食べてしまうことからできている。わかる。ずうっと勉強したり作業するのってつらいし、ついついスマホや小説に手が伸びてしまう。戦国時代や江戸時代、馬が移動手段として機能していた時代には、ほとんどの馬が「めんどくせえなあ」と思ったはずだ。かといって道草を食おうとすると足で蹴られて進まなくちゃいけないのだ。北海道のあの馬たちも、僕らのほかに何人も相手をして、何回も何回も同じルートを歩いているのだ。ストライキもしたくなるだろうなあ。

 競馬なんかを見ていると、勝った馬は自分が勝ったと分かっているように思う。走り方がなんだか、跳ねているのだ。...賢いなあ、馬。そして強い。体がダメになるまで競走馬として生きるか、観光客相手に同じ道をずっと歩くのか、どちらか選べと聞かれたら後者を選びます。そして、たまーに道草食って怒られる馬でありたい。