浸透圧

  休日は、たまのご褒美でモスバーガーが食べたくなる。チーズバーガーとペプシコーラ。僕の知ってるモスで一番好きなのは、二階まであるお店で、店員さんの接客がいつも満足させてくれるところだ。そして古着屋をぶらぶらする。イヤホンから流れる音楽を聴きながら、服をいろいろ見ていく。

 ちょっと待った。ここでふと思うのは、これってアメリカ人がしている生活の丸写しなんじゃないの?ということだ。日本は明治頃からずっと欧米をパクって営みをアップデートしてきたわけだけど、これが世界規模で広がるんだろうなという予感を抱いている。ひとまずそれは置いておいて、アメリカについてのドキュメンタリー『Food, Inc.』で習ったことを受け売りしておこうと思う。例えば、マクドナルドが人々にもたらした影響はすばらしいものだ。1930年頃、マクドナルドは従業員の労働を簡略化、分割化した。これによって誰でも交換可能になったわけです。さらに、「野菜を買うよりバーガーで済ませた方がお得だから」と貧しい人々がバーガーばかりを食べた結果、医療費が高くなってしまったのだ。

 青木保さんの『異文化理解』という本で言及されていたことに、「グローバル化アメリカ化」がある。あらゆるものが移動可能になったとしても、それは結局アメリカの生活習慣が世界的なものになるだけじゃないのか。もしそうなら、果たして幸せなのか。

 どうせグローバル化が進むのなら、発展途上国の一日の過ごし方を取り入れてみてはいかがだろうか。時計を捨て、太陽によって仕事をする時間や学校に行く時間を決定する。生きている間に一度やってみたいなあ。きっと、一秒一秒時間が刻まれたのと、そうでないのとでは人生観なんかも変わってきそうだ。でも、どうして日本は、アメリカ的なる何かに強いあこがれを感じがちなんだろう。かっこいいからかな。ずいぶんのんびりする暮らしも、(衣食住さえ満足なら)悪くないとは思うんだけど。

 だって、アメリカのいろいろを取り入れたから「成績重視」とか「テストの得点こそ大事」みたいな傾向ができたわけでしょう?アメリカって極端だなあと思うのは、テストの点数がいいほど教師のボーナスも増やしてあげるよ、というルールが生まれたとき、まず音楽や体育などの時間がほとんどなくなった。そして、英語や数学の時間がどっと増え、逆に成績は落ちてしまった。すると教師たちはカンニングを見て見ぬふりをするようになった。ほんとに、アメリカは面白い。

 もっと楽できて、もっと便利な方へ変えていけばいいのに、どんどん「人間らしくない」生活へ能動的にシフトさせているような気がする。うん、昼間っからぐだぐだして、夕方から仕事して、毎晩夜更かししたいです。頼むぞ未来。