感染力

 高一のときに、道徳の課題で「感染力」という文章を書いた。高校で毎年出ている文集みたいなものにそれが載って、嬉しかった(そしてひやひやした)記憶がある。どうしてひやひやしたかというと「感染力」がスマホゲームをしているクラスメイトを少し皮肉った内容だったからだ。無事なにごともなく過ぎ、僕自身もスマホゲームにハマった次第で、しかしながら「感染力」の中で書きたかったことは今とさほど変わらない。

 その当時流行っていたゲームはパズドラだったかな。一人がやり始め、また違う誰かが...と、いつの間にかほとんどの男子が遊ぶようになった。僕はやらずに友達がしているのをそっと見ているだけで、別にやろうとは思わなかった。元々のあまのじゃくな性格からかもしれない。すると今度はモンストが流行った。すぐさまみんながするようになった。僕は不思議だった。必ずこの中には「そんなに面白くなさそうだなあ」と思いながらゲームをインストールした人がいるはず。「みんなしてるから...」と思って遊んでいる人もそう。

 ゲームを宣伝する人たちはおそらく「‘‘みんな’’やっていますよ~」という風に押し出してゆく。CMを見ても、一般人らしき人が遊んでいるものが結構ある。よくわからない誰かがしているのも見て誰かがやり始める。そしてその誰かを見て...(以下略)。それって病気が蔓延するのにすごく似ている。病気というのは、他の人からもらったウイルスだったり汚い環境に潜む菌なんかで感染するものだ(たぶん)。でも病気と少し違うのは、自分から能動的に感染しに行っているところだ。だって、周りの人が自分以外みんなインフルエンザに罹ったからと言ってわざわざうつされに行く人はいないもの。

 他のところでも書いたように、本当に自分一人で行動していることなんてほとんどない。他の誰かがしているから、あの人がするように言ったから同じように物真似しているだけだ。そういう「自分がない」ってのはかなり楽だし、エネルギーもそんなに使わない。でも「みんなしてるから」という理由で決定したことも「あなたの責任で決定したこと」だから、気をつけなきゃいけない。例えば、みんながA君をいじめているから「お前もやれよ」と言われしぶしぶ同じようにいじめてもそれは「みんなにされたこと」じゃなく、「あなたがしたこと」だ。

 でも面白いもので、「みんなやってるからあのゲーム買って~」と親に言ったら「みんなって誰よ、名前言ってごらん」と言うくせに、自分に都合のいいことはやはり「みんな」の理論を持ち出すのだ。「みんな受験してるでしょ」、「車の免許なんて誰でも持ってるわよ」なんて。‘‘みんな’’知らぬうちに感染してるのだ、‘‘みんな’’ね。