隣の芝生、私の営み

 伊丹十三さんの『ヨーロッパ退屈日記』を購入した。伊丹さんは俳優、デザイナー、エッセイスト、映画監督、雑誌編集長など多様な仕事を行ってきた人で、僕自身すごく憧れている人だ。父方の祖父も何でもできた人みたいで、そんな「多様なことをするりと行える人」は無論かっこいいし、逆に不器用な自分がちょっと嫌になってくる。

 この本の内容は、ヨーロッパを長く訪れた際の見聞をまとめたもので、その地の習慣や常識だったり、スパゲッティの正しい食べ方、クラシック音楽についてなどなど、さまざまな教養が痛快な文体で描かれている。表紙や挿画も伊丹さん自身によるもので、この一冊だけで多彩な顔を垣間見ることができると思う。これを読んでいて考えるのは、「郷に入っては郷に従え」という言葉だ。例えば、僕らは小学校ぐらいから英語を学んでいるけれど、英語を話せるだけで外国でやっていけるとは到底思わないんです。もしアメリカの人が日本語がぺらぺら話せても、家の中を靴を履いたまま歩かれたら迷惑だし、怒られるだろう。ヨーロッパのどこかの国では、教会に入る際には帽子を脱がなければならないし、当然私語は厳禁だ。しかしこうした常識を知っていないと「無礼者!」と白い目で見られるに違いない。

 住んでいる土地や気候によって人々の気質も変化して、マナーやコミュニケーションの方法も異なっていくのが面白い。その土地ごとに教養の形もさまざまで、「普通」の概念だってあの人とこの人でまったく違う。隣の芝生に足を踏み入れるとき、気を付けなければならないのはこういう点だと思う。フランスは服装でいろんなことが決定する国のようで、きちんとした服を着ていないとレストランでも悪い席に案内されてしまう。

 この本をぺらぺらと捲っていると、どうやってこのような情報を知ったんだろうなあと不思議に思う。長くその土地に住み着いているといろいろと見えてくるものがあるんだろうか。ここで、ある話を紹介したい(先生の受け売りです)。日本人が、庭掃除をしているアメリカ人に「外国の方ですか?」と質問した。「何を当たり前のこと聞いてるんだ、よし、からかってやろう」と思って、「日本人です」と答えた。おかしいなあと感じた日本人は、今度は「お仕事しているんですか?」と質問してみた。アメリカ人は同じように「いえ、寝ています」と返事をした。訳が分からなくなった日本人はそこを立ち去って、アメリカ人は疑問なまま仕事を続けた、というもの。お互いが生まれ育った社会の仕組みが違うと、コミュニケーションにもずれがうまれてしまう。そういうずれを埋めるには、やっぱりそれぞれの国の営みを経験しなければならないのかもしれない。