光明を追う

 ばかばかしいことを全力でやってくれる人が好きだ。ここ最近、面白い動画ばかり探している。どうしても三人称さんのゲーム実況に行きついてしまう。自然と笑いを生み出せる人たちはほんと才能の塊だし、お友達になりたい。

 高校二、三年生と同じクラスだった友達がいるのだけど、彼は高二のときに違うクラスの女子と付き合っていた、そして、年末ぐらいに別れたようだった。そして高三のときにまたよりを戻したようだ。僕は、高三になって他の人からそのことを教えてもらって初めて気が付いた。その女の子が彼と話しているところはしばしば見かけていたけど、全然何にも思っていなかった。どうやら、僕は鈍感らしい。別れてブルーだった彼と普通に会話していたし、よりを戻してルンルン(だったと思う)なのに何も気に留めない。そんなある日、「別れたときどうしてた?」と質問した。するとその友達は、「アデルとaikoばっかり聴いてた」と返事してくれた。ああ、失恋モードやん...。悲しいときにより悲しいものを聴くのなんて、僕にはできない。つらさが噴き出していろいろなことが耐えられなくなりそうだからだ。

 今、つらいかつらくないかで言えば、つらい方だと思う。ゼミの予習がまず大変、中国語がしんどそう、その他の授業も骨を折りそうだ。じゃあ何でこれを書いてんだよと言われると、閉口するしかないんですが、今はちょっとした余裕があるんです。

 星野源さんが以前「子どもの頃、とんねるずの番組が一週間の救いだった」と書いているのを読んで、少し親近感を覚えた。クレイジーキャッツの「そのうちなんとかなるだろう」という歌詞に救われたという話を「情熱大陸」で話していて、その苦しさを想った。その人がどのような光で「夜」を照らしていたのか、それを知るとやさしくなれる気がする。

 前向きと後ろ向きという言葉があるけど、気質として「前向き」な人は生きるのが得意そうに思う。ノエル・ギャラガーが「毎朝、今日はいいことあるかなって思って目覚める」とインタビューで答えているのを聞いて、ノエルの「夜」を想うと本当に強い人だとわかるし、また足を進めようと思える。僕は後ろ向きな人間だから、いろいろなことが気になっていちいち憂鬱になってしまう。そしてそういうときに、ぱぁーと明るい光があるとほんとに有難い。だから、宗教とかそういうのが世の中にある理由もなるほどという感じだ。僕はそこまで行ってないけど。

 「ばかだなあ」と言われる人は、幸福な人だと思う。変な意味じゃなく。その人のおかげで誰かの一日、もしくは一分でもぱあっと光ったんだから。「ばかだなあ」な人は職業として、一定の数は必要なんだ。