汚れた川と、僕らの永遠

 岡崎京子さんのことを知ったのはつい最近のことだ。ヴィレッジヴァンガードで『ジオラマボーイ☆パノラマガール』と『東方見聞録』を買った。正直、有名な『ヘルタースケルター』は怖くて買えていない。そしてこの間、映画化されることを知って(主題歌はあの小沢健二!)、『リバーズ・エッジ』を手に取った。本屋さんから帰ってその衝動のままに読んだ。ページを捲るたびに胸がざわついて、「あのページ」で大波がやってきた。

 舞台は広く汚い河の流れる街、そしてその河の近くにある高校。女子高生のハルナはとある日、いじめっ子の観音崎(ハルナは観音崎となんとなくエッチして、なんとなく付き合っている感じになっている)にロッカーに閉じ込められた山田君を助ける。そのあと二人で歩いているときに、自分は同性愛者であり、B組の田島さんと付き合っているのはそれを隠すフェイクなんだと山田君から打ち明けられる(田島さんは、そのことを知らない)。そしてとある夜、山田君に連れられた河原で、「僕の宝物なんだ」と、白骨化し始めた死体を見せられる。「この死体をみると勇気が出るんだ」...。

 この物語には、きれいなものはほとんど出てこない。みんな淫らで欲深くて、誰かを自分のものにしたくて、あの子に嫉妬して「居なくなればいいのに」と思って、他の人に打ち明けられない鬱々とした悩みを抱えていて。そんな汚れた感情が、物語を徐々に悲劇へと運んでいく。

 僕は彼らの、そんな醜くて汗臭い、どろどろとした欲求が好きだ。もちろん、誰かを犠牲にしてしまうややこしいものには違いないのだけど、彼らの汚さを、僕は否定したくない。完璧にきれいな人間はいないし、完璧に汚れた人間も、たぶんいない。僕らは清潔そうな身なりをしながらも、誰かを嫌ったり傷つけたり嫉妬するほど誰かに恋焦がれる。どんなに高そうでお洒落な服を身に着けても、肌の奥は変わらない。

 〈死体〉が繋ぐ友情というのは、とても不思議だなあと思う。日本で普通に暮らしていて、「死」を感じる瞬間なんて、そうそうない気がするのだ。「〇〇で切断死体発見」なんてニュースを見ても、どこか実感はないし、「死」は日々の暮らしから遠く離されている。でも『リバーズ・エッジ』の河原には、それが宿っている。

 オザケンの「さよならなんて云えないよ」に「左へカーブを曲がると光る海が見えてくる 僕は思う!この瞬間は続くと!いつまでも」という歌詞が出てくるけど、彼らの一瞬一瞬は(決してそれが汚れたものだとしても)物語の中で永遠になっていく。そしてそれは、今の僕らでも...。