生きなくたっていい

 四月から始まった授業の中に「夏目漱石の『こころ』を読み解いてゆく」というのがあって、まだまだ始まったばかりではあるけれど受けていてとても面白い。今日は「Kがなぜ自殺したのか」ということを1時間半かけて説明してくれた。この作品の題名「こころ」というのが一つの大きな核になっていて、人の心が頼りなく、気まぐれで非常に移り変わりやすいからこそKは悩み、結局自殺してしまう。確かに人と関わっていると、自殺するとは言わないまでも人の心の移り変わりに気が滅入ってしまうことがある。好きがいつの間にか突然嫌いになっていたり、面白いものが急につまらないものに思えてきたり、自分自身の気まぐれも「こころ」の頼りなさを表している。

 星野源さんが「この世で一番怖いものは?」という質問に「人」と答えているのを読んで、思わず「おお」と声が出てしまった。ここ最近のニュースを見ていても、爽やかなイメージを持っていた人が罪を犯しているとぞっとする。優しい人が突然怪物のように恐ろしい人に変わってしまうと、きっとどんな人も信用できないんじゃないか。一人の人間のふとした愚行で(もしかすると、その人にとっては「好意」だったかもしれないけれど)誰かの世界がぐるりと色を変える。そういうニュースを目にするたびに、背筋を正さなきゃいけないと思う。

 いろいろなことを考えていると、自然と厭世的になってしまう。明日の学校も嫌だし、テストも嫌だし、将来働くのだって嫌だ。苦手な人に無理やり笑顔を作らなきゃいけないのも嫌だ。「嫌」なことを考え出すと、トウモロコシがポップコーンになるみたいにどんどん弾けだす。生まれ変わったらきっと、猫になってご飯を食べる以外はずっと眠っていようと思う。淋しくなったら腕の中にするりと潜り込んでやはり眠ろう。

 「anone」というドラマがあって、その中の「生きなくっていいじゃない、暮らせば。暮らしましょうよ」という台詞が心のちょうどいいところにヒットして、今もじんわり熱を持っている。なぜ、と聞かれると説明するのが億劫だけれど、ほんのりと思うのは「無理をして生きなくたって、静かに淡々と暮らしを営むだけで、それだけでいいじゃないか」ってことだ。そもそも、「暮らし」という言葉の響きが僕は好きなんです。この間買ったお気に入りの服を着て出かけ、時間ができたら録画していたアニメを見る。たまにツイッターを覗く。「暮らし」を続けていく途中で、人を好きになったり、言葉に泣いたり詩を書いたりする。別に生きなくっていいのだ、暮らして、そこに居続けてくれるのなら、それでお腹いっぱいだ。