B・シュリンクの小説『朗読者』が、とても印象に残る作品だった。15歳の青年が、母親といってもおかしくないほど年上の女性ハンナと恋に落ちるのだけど、ハンナは青年に朗読をお願いする。そうして愛し合い、青年が朗読をして年月を重ねるが、突然彼女は失踪してしまう。ハンナの秘密と青年の恋心が物語を進めていくが、結末はあなたに見てほしい。この作品が美しいのは「朗読」という行為が、身体を重ねることよりも崇高で、艶めかしいもののように思えるからだ。物語が進み、二人が離ればなれになっても、朗読は二人の愛を繋ぎとめていただろうし、それは「声」がもつ何かしらの強さが関係しているのだと思う。愛を読むひと』という題名で映画化もされているので、そちらもおすすめします。

 昨日、久しぶりに偏頭痛がきて寝込んでいて、ぱっと目覚めたら夜の9時だった。友達からラインが来ていたので返事をするとすぐに電話がかかってきた。話すのは今年の初め以来だから、彼の声が少し懐かしかった。なぜ電話をかけてきたのかは彼の気まぐれだったのだけど、やっぱりいつも通り楽しかった。半分以上がくだらない下ネタばかりで、隣の部屋の人に聞かれてないか不安になるくらいの内容だった。彼と話していると不思議と頭の痛みも和らいで、話し終わっても自然と眠りにつくことができた。

 僕は、文字で伝えるのが楽で言葉を話して伝えるほうはなかなか恥ずかしい。だからこういうのやツイッターを使っているのだけど、好きな人と声で通じ合うということもそれだけ喜びや楽しさを得られるのだと、昨日話してわかった。フォロワーさんと一度話したことがあって、「こういう声だったんだ」とか、ツイートだけでは分からないあれこれを聞けてよかった。「声」というものが持つ不思議な力を感じたのだ。

 『聲の形』という映画も、「声」以外でどう通じあうのか、どのように関わり合うのか、ということがテーマになっているような気がした。それぞれが弱さや生きづらさを抱えていて、西宮硝子という聴覚障害をもつ少女と関わる中でそうしたものをどう解消していくか、それぞれの不和を克服していくのかを見出していく。自殺未遂など重いテーマもありながら、結局は希望へと舵を切ってゆく作品だったと思う。主題歌のaikoもよかったわあ。

 まあ何が言いたいかというと、久しぶりに友達と話せて楽しかったということです。友達は彼女と仲良くやっているみたいで、僕もなんだか羨ましかった。でも同棲ってよくできるなあ。どきどきして絶対寝られないと思うのだけど。それを言うとめちゃくちゃ笑われた。その笑い声につられて僕も笑ってしまって、こんなに自然に笑うのも久しぶりな気がした。