くらい水槽

 小春日和を期待していたのに、今日はいつもより風が冷たくて、あんまり寄り道せずに帰った。慣れない服をさっさと脱いでハンガーにかけ、部屋着に着替えた。布団でくつろいでちょっと時間を潰した。お昼に何も食べていなかったから、少し早いかなとは思いつつ晩御飯の用意をして、無言でそれを口に運んでいた。その途中で珍しくお母さんからメールが届き、お父さんが新しい仕事に就いたこと、疲労がすごくて足に水ぶくれができたことが知らされた。なぜかしら、さっきまであった食欲は一気に消え去り、何も喉を通らなくなった。そうしているうちに空が翳り始めた。

 暗い部屋は嫌いじゃないから明かりも点けないで布団に寝そべる。なんか知らんけど空気が狭い。この部屋がなんだか水槽みたいだと思う。真夜中の水槽。天井を泳ぐ不鮮明なスマホの光は月明かりだ。賑やかな時刻なのに辺りはしんとしている。本当ならこのまま眠ってしまいたかったけれど、ちらりと視線を左に移せば、米粒やおかずが食べ残された食器類が不満げに佇んでいる。冷たくなった彼らを台所まで運んでいき、その流れで浴槽にお湯を溜める。ようやく沈黙が破られる。

 とある漫画をぺらぺらと捲りながら、登場人物たちの間にある「友達以上の気持ち」をとても懐かしく思った。決して恋愛感情ではない。それでも、ものすごく照れ臭い気持ちを臆面もなく言えてしまうぐらいの距離感、お互いの手が触れるか触れないかぎりぎりの近さは友情でもない。ふと高校の頃の、もう色褪せた記憶らを拾ってみたくなった。なにせ僕は忘れられないのだ。休み時間、あいつがロッカーへ教科書を取りに行くたび、僕の席に寄って来て話しかけてくれるかひそかに期待していたこと。掃除の時間にはほとんどずっとサボり、二人きりで駄弁っていたこと。でもあの淡い関係性は、学校という謎めいた空間だからこそ生まれ、維持されていたのかもしれない。今ではすべてが悲しい。

 大人にもなって自分の昔話をしてはダメだと誰かが言っていた気がするけど、別にそういう制約を用意してまで守るべき見栄もないし、たまには「あの時はよかったな」みたいなダサい感慨をジャラジャラ並べていい気分に浸っていたいし、それに今の僕にはあんまり余裕がなくって、これを眠る時間を削ってまで書いているのがばかばかしいぐらいだけど(まあ明日からちゃんとするから)、お母さんからメールが届いて布団に寝転んで天井を見つめていたときから、なんかこの感情をまとめておきたいと思ったから仕方ないんだ、本当に。スタンドライトを消したなら、真っ暗闇の水槽の中で眠りにつこう。嫌だけど。