キリンジと曇天

 午後になっても、物憂げな曇り空は変わらなかった。雨が降りそうで降らない、あいまいな天候。授業が早く終わったので、僕は服を買いに出かけることにした。ふと再生したキリンジの「雨は毛布のように」が心地よくって、今日はずっとキリンジのベストを聴いていた。気持ちが明るくなるわけでも、ものすごく泣きたくなるわけでもないけど、キリンジの音楽は心を地面から5センチくらいふっと浮かしてくれる。

 古着屋さんで買ったのは薄手のセーターだ。左胸のところに金色の熊がプリントされた、えんじ色のもの。安いのが何よりうれしかった。買ってすぐだけど、すごく着てみたくなって店の外でこっそりと着替えてみた。古着屋の匂いがする。鉛色の町並みを横目で眺めながら、また自転車を漕ぎ始めた。

 十月に入ったからか、空が暮れるのが早い。それに加え、どんよりとした暗い天気だ。近くのスーパーマーケットで今晩の食事の準備やおやつなんかを買って、時計を見ると5時半だった。だけどもうすっかり薄暗い。パートタイムが終わったのか、レジ係のお兄さんが外にいた。いつも物腰が低くて柔らかな印象の彼だけど、プライベートになるとそうではないのかもしれない...と考えると面白かった。暮れかかる町は、日の当たるときには見せない顔を見せる。それは疲れだったり解放だったり、哀愁だったりする。

 官能的な体の疲労や、うっとりと重くなったまぶたに、キリンジの「エイリアンズ」が甘美に聞こえる。金曜日は疲れがまとまってやってくるような気がする。ずうっと荷物を背負っていると気づかないが、それをいったん机上に置くと途端に腰がぴきぴきと鳴りだすようなものかな。今までの怠けがこうやってツケで返ってくるのだと思った(何回目だろう?)。

 これだけ厚く暗い雨雲に、夕陽も顔を出さなかった。陰鬱な青藍色を、自動車のヘッドライトが滑っていく。ユーミンの名曲「中央フリーウェイ」の歌詞を思い出した。「町の灯が やがてまたたきだす 二人して 流星になったみたい」。中央自動車道を走る車を、星に例えているわけだ。無機質な光も、流星だと思うと可愛らしく感じられる。はあ、眠たい。気だるくなりながら、僕は帰ってきた。帰ってすぐにセーターを洗濯機にかけた。この間買ってきたエマールを入れて、設定をドライにする。30分経って中から取り出すと、なんとなく懐かしい匂いがした。エマールで家族を思い出すとは...。そしてもうすっかり真っ暗な空を見ながら、「雨が豪雨になって...」と口ずさんでいた。