悪玉

 まだ幼い頃、仮面ライダーに夢中だった。朝早くに起きて、まだ薄暗い部屋でテレビ画面に集中していた。でも、正直内容はいっさい理解できていなかったと思うし、ただ格好いいアクションシーンが見たいだけだった。その証拠に、映画を観に行ったとき、アクション以外のシーンでは眠っていたらしい。Youtubeで久しぶりにその映像を見たときに、シリアスな中にどこかシュールさを感じて面白いなと思ったし、やっぱり格好良かった。

 ときどき、主人公よりも、サブや悪役が光って見えるときがある。時代が限定されてしまうけど、仮面ライダー555だとカイザ、仮面ライダー剣だとギャレン仮面ライダーカブトだとキックホッパーとかが好きだった。いいところは全部主人公に持っていかれるのだけど、控えめに活躍している彼らがまぶしく映ったのだろうか。「判官びいき」という言葉がしっくりくるかもしれない。

 キリンジの歌に、「悪玉」というのがある。名の通り、悪役についての歌だ。卑怯な手を使って、それでも負けてしまう彼の姿を、息子までもが蔑んでいるという状況が描かれている。なんて切実で、胸が苦しくなるんだろう。息子にさえ鋭い視線を向けられながら、負け続ける日々を繰り返している。「捨て身の奴に負けやしない 守るべきものが俺にはあるんだ」という歌詞がとても印象的だった。また、「千年紀末に降る雪は」はサンタクロースについての歌なのだけど、その冒頭は「戸惑いに泣く子供らと 嘲笑う大人と 恋人はサンタクロース」である。キリンジの歌詞で好きな部分は、あんまり描かれてこなかった景色を炙り出していることだ。悪役の生々しい裏側と、サンタクロースの虚しさ。

 スガシカオの『Sweet』に収録されている「正義の味方」というのも、キリンジの「悪役」と似ている。ごくごく平均的な家庭に、「もしかしてむかしは正義の味方で、今はもう出番がなくてずっと家にいるのかも」という視線を向ける。いや、普通考えて「んなあほな」と思うけど、この視線もすごく好きだ。そこには何気なく、「正義の味方」への憐れみみたいなものが微かに感じられる。

 いつまでも、王道ではないものに惹かれ続けるんだろうと思う。ちょっと横から大勢を眺めて、ぽかんと空想したり、秘かに活躍する人たちが好きだ。多分僕も、目立つのはそんなに得意じゃないから、地下あたりで社会を見つめているんだろうと思う。時には、悪役として。